2020-12-31

もう冬休み5日目か。大晦日。朝9時過ぎ起床し、亀末さんへ注文していたお正月用お菓子を取りに行く。ついでに八百一で買い物。松葉のお蕎麦、丹波の黒豆等。一旦帰宅し、今度は車で買い出しへ。肉屋、スーパー、酒屋をはしご。お昼は松葉のお蕎麦に海老天を載せて、ちょっと早めの年越し蕎麦。13時から電話で打ち合わせ。原稿、なんとか書けそうな気がしてくる。そのまま机で『恥ずかしい料理』制作日記36冊(9冊×4包)にカバーをかける。手の脂がつかないよう綿の白手袋をして、気を使う仕事。寒くてこの冬はじめてガスストーブを点けた。その後この前聞いた「“かわいい”は思考停止」について考える。2019年3月30日の日記を紐解いてみると、“リリカルさは「わからなさ」の中でしか息ができないんじゃないかって思ってたけど、ついに最近、 明晰なリリシズムの光明が指してきた感じがする。そして、確かにその先は、文学の出番なのだった。”とあって驚いた。そう、その先は間違いなく文学の世界なのだ。なんにもわかってなかったクセに勘だけはいいんだなあ。そしてその勘だけを手がかりに、いわば肉弾戦でここまでやってきたのだった。未だにわたしには努力しかない、と気持ちがしぼむ日もあるが、努力の根底に妙な勘の良さがあることは覚えておいたほうがよいだろう。これは自画自賛などではなくて、ずっと問いを生きてきたのだなあという発見であった。また一方で、“かわいい”を「わからなさ」に閉じ込め(て得をす)るのは果たして誰なのか?という話でもあると思う。夕飯は鍋。焼き肉、すき焼き、しゃぶしゃぶなど豪華な大晦日の夕飯はひと通りやったが、いつも豪勢さのあまり序盤で(胃に)ダメージを負ってしまいがち。全く大晦日を楽しめてないことにあらためて気づいて「鍋」になった次第。ただし夫が出汁をとりながら「今日は昆布を2枚いれてやるぞ!」と張り切っていたところに大晦日感が出ていた。昆布で出汁をとるとき、前は沸騰前に取り出して上品に…というふうにやっていたが、本の取材でふじ吉のおとうはんから「だんだん(どんどん)出したったらええ。自分らで食べるもんなんやから、(昆布から旨みを)とれるだけとったったらええんや」と聞いて以来、グツグツ煮立ててとるようになった。確かにその方がしっかりした味が出る。出汁をとりながら、酒屋で買ってあった良いスパークリングワインの栓を開けて乾杯。甘いものが欲しくなり、亀末さんのお正月菓子と一緒に飲んだ。こなしで出来たピンクの梅と、道明寺の白の梅の生菓子。道明寺のお菓子は真冬のおいしさ。鍋をつつきながら紅白を観たり観なかったり。今年は大層な演出が少なくて恥ずかしくならずに観ていられた。“ミュージック・フェア感”と言い表している人がいて、言い得て妙。しかしじきに頭痛。珍しく昼間にチョコレートをバカ食いをしたのがよくなかったのかも。楽しみにしていたCDTVのAwichを待たずに布団に沈む。

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