2022-02-18

「板わかめ」

わかめの名産地、と言えば、東日本なら岩手・宮城の三陸、西日本なら徳島の鳴門になるだろうか。ただ鳥取県で生まれ育った私にとっては、わかめと言えば断然「みくりや」である。

響きの感じからしてお店の名前のように聞こえるが、もちろん「みくりや」というのは地名で、漢字では「御来屋」と書く。東西に長い鳥取県の真ん中より西寄りにある、日本海に面した小さな港町だ。この御来屋の「板わかめ」が、地元では名産品として知られている。

わかめというと一般的に、塩漬けや乾燥させた状態で売られていることが多く、食材として使う時には水で戻してから料理に使うことになる。しかしこの「板わかめ」は、乾物とはいえ水で戻さず、そのままご飯の上に載せて食べる。言わばご飯の友だ。

名前に「板」と付いているからといって、それほど分厚くはない。ところどころ向こう側が透けて見えるほど薄く、パリパリしていて触ると簡単に欠けるほど脆い。

大きさを紙に例えるとA3サイズとほぼ同じ。かなり大判だ。それをちぎりちぎりしながら少しずつ使っていく。わたしが子どもの頃は、袋ごと鷲掴みにして揉み、砕けて袋の底に溜まったのをご飯の上にふりかけて食べていた。大人になった今は、気取ってキッチンばさみで刻んだりもする。

磯をそのまま閉じ込めたような塩気と旨み、それから、わかめそのものの香り。これが板わかめの醍醐味だ。

特に茎の部分は強烈で、まるで脳天を突き抜けるような塩味がする。あまりに強い塩気から、食べながら後ろめたさを感じてしまうほどだ。これを板わかめの他の部分と一緒にホカホカのご飯にまぶして食べると、さっきまでしていた考え事も吹き飛んでしまう。食べ始めたが最後、夢中になってがっついて、気がついたときには目の前のお茶碗はすっかり空っぽになっているのが常だ。

海苔のようにして、おにぎりに巻いたものもおいしい。しかしこれを食べる時はケガとの戦いになる。かぶりつこうとすると、巻かれた板わかめの先端が口の周りに刺さってとても痛いからだ。食べ終わってみたら口の端に血が滲んでいたこともあった。もちろん、歯茎など口の中にも容赦なく刺さる。

子どもの頃はそのまま、おやつとしてもよく食べていた。むしゃむしゃと、ちぎっては食べちぎっては食べしているうちに、口の中がわかめの風味でいっぱいになる。今考えてみると決して子供向けの味ではないような気もするが、わたしはこれが幸せだった。大人になった今は、酒、特に日本酒の肴としてむしゃむしゃやっている。

板わかめには旬がある。

春先、3月の終わりから4月にかけて出回る新物が一番おいしいと言われている。板わかめの袋に踊る「新物」の二文字は、山陰に春の訪れを知らせる風物詩だ。母は出先でこれを見つけるとすぐさま買って帰り、「板わかめの新物が出とったわ!」と誇らしげに春の到来を報告するのだった。

ただ、コタツのある居間にこの「新物」板わかめの袋が転がっていたのを覚えているところを見ると、実家では春先に買ったものを1年かけて少しずつ食べていたのかもしれない。

実家のコタツの敷物には、板わかめの欠片がよく引っかかっていた。

お里が知れるようで恥ずかしい話だが、私の実家は掃除が行き届いているとは言い難かった。母は父よりも休みなく働いていて、父が母に代わって家事をやることはほとんどなかった。家のあちこちにはいつもうっすら埃が積もっていて、コタツの敷物の表面も例外ではなかった。

実家のコタツの敷物には、くすんだピンクに染められた化繊のキルティングが使われていた。その大きな波模様の縫い目に沿って、埃や塵と一緒に小さな板わかめの破片もしょっちゅう溜まっていたものだ。ふとした時に、私はそれを指で集め、つまんでくずかごへ捨ててやる。そしてそんな時、大抵視界は涙で滲んでいるのだった。

子どもの頃の記憶は、嬉しかったことや楽しかったことよりも、涙の塩味がするものが多い。いつも目にいっぱい涙を溜めて、口をへの字に結んで、うつむいてばかりいた。両親からは、褒められることより怒られることの方がずっと多かったと思う。食べ物のことで咎められることも少なくなかった。

「少しはメシをうまそうに食えんのか!」

そう怒鳴る父から、食卓で箸を投げつけられることもあった。挨拶は元気よく、返事は大きな声でしろ。子どもたちにそう言いつける父の教育方針に、私の態度が適わなかったのだと思う。

父の短い導火線に一度火が着くと、もう手が付けられなかった。

「もっとマシな物言いはできんのか」「お前の性根(しょうね)は腐っとる」

怒りの矛先が次々と掘り起こされ、怒鳴り散らされ、最後は根性論に発展するのがお約束だった。田舎言葉で乱暴に聞こえるが、父なりに娘のことを心配していたのだと思う。それは母にしてみても同じだった。

「あんたは子どものくせにヒネとるけん」

こちらはもっと諦念がこもった言い方だった。「わが子には素直にのびのびと育ってほしい」。そんな希望を託し、裏切られ、憤り、呆れ、諦めてきた親心の道行きがそのまま表れていた。

私は子どもらしくない子どもだった。

自分の思うことを真っ直ぐ表現せず、どうしても強い気持ちを表したいときの文法は、決まっていつも二重否定そのものだった。それがいちいち大人の癇に障る。怒鳴られ、叱りつけられながら、私は敷物の縫い目に溜まった板わかめの欠片を涙目で見つめていた。一体どうすればこの腐った性根を直せるか、自分でも全くわからなかった。

人に写真を撮ってもらうとき、鏡を見ずに真っ直ぐ立った自然な姿を写してもらおうとすると随分苦労する。「右肩をもっと後ろに下げて」「頭は少しだけ左に傾げて」。カメラマンからさまざまな指導を受け、ようやっと出来上がった「真っ直ぐ」は、自分の力だけでは到底とることの出来ないポーズであることも多い。真っ直ぐ立つのは案外難しい。「自然」をやるにも、それなりの筋力が必要ということだろう。

やりたいことを「やりたい」、うれしいことを「うれしい」、おいしいものを「おいしい」と真っ直ぐ表すにも、力が必要なのではないか。

幼い頃の私は、素直に自分の思いを伝えるにはあまりにも非力だった。感じることや思うことはたくさんあっても、それを真っ直ぐ表に出せるだけの術を持ち合わせていなかった。

それが出来るようになったのは、親元を離れてしばらく経ってからだったと思う。

故郷から遠く離れて、私の世界はぐんと広がった。真っ直ぐ立てなくても問題ない。そう言って一緒にいてくれる人たちに出会い、私は少しずつ、素直になれるだけの力を蓄えていった。

今でもときどき、お風呂に入ろうと脱衣場で服を脱いでいると、どこからともなく板わかめの欠片が姿を現すことがある。

大抵は、最後の一枚を脱いだ瞬間にひらひらと落ちてくる。きっと、不躾にも寝そべりながらむしゃむしゃやっていた時に、襟ぐりから入り込んだのだろう。私は素っ裸のまま目線を落とし、おかしさと決まり悪さで一人笑いが止まらなくなってしまう。

笑いを堪え、脱衣場の白い床に落ちた板わかめの欠片を拾い上げるとき、私は否が応でも非力だった幼い頃のことを思い出す。お化粧の仕方も知らず、歯を見せて笑うことも出来なかった、「ヒネた」自分を思い出す。

最近、歳をとったなと自分で思うことが急に増えた。その中には、昔の自分を棚に上げ、他人の未熟さに眉をひそめたくなる気持ちも混ざっている。

そんなとき、板わかめの欠片は姿を現す。ひらひらと足元に舞い落ちて、忘れたふりをして記憶の隅に追いやり、ひた隠しにしてきた子どもの頃の涙の味を連れて来る。

「みくりやの板わかめ」は、疎ましくも優しい、過去からの使者でもある。

「お題:わかめ」ありがとうございました。
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