「養生百景」

勤続13年。これでも毎日一生懸命会社勤めをしているつもりが、最近、久々に会った人から「会社は辞めたんじゃなかったの」と言われて驚くことが続いた。まさか。こちらは大真面目に、来る日も来る日も出勤していたのに心外だ。
職場は小さな会社で、働いている身からしてもロクな事業計画の「ロ」の字も見えない。それこそ鶴の一声というやつで突然妙な仕事が降って湧いて、こちらはそのたび右往左往してなんとかする羽目になる。仕事だからなんとかするにはするが、なんともならないのが体のことだ。
内科に耳鼻科、皮膚科、そして胃腸科。鶴が一声鳴くたび一枚、また一枚と、手持ちの病院の診察券が増えていく。どの医者にかかっても、言われるのは大抵似たようなことだった。
「お疲れですよ」
見かねた労務担当が会社にかけあってくれ、手当をもらえたこともあった。ただし医者代のほうが大きく足が出た。
酒の席の話で、あだ名を付ける名人だという知人に、名前を付けてもらったことがある。
「名人」は酔っ払いたちを相手に、次々に芳名を授けていく。その鮮やかさに場が沸いた。いよいよ私の番になり、頂戴したそれは「異常に沸点の低い人」というものだった。
その心は、何か興味のあるものを見つけてはすぐにのぼせ、おもしろがるから。だそうだ。言い得て妙だと思い、素直に笑った。
つまり、恥ずかしながら気力のほうは有り余っているということだ。
もともと有り余っているものを無理に引っ込めるというのは、なかなか難しい上にもったいない。そこで、先走っている気力と、お役目に追いつくだけの体力をつけてやろうではないかと決めた。
昨年暮れ、弊社の鶴がまた鳴いた。
やれやれ来たな、と腕組みをした私がまずしたことは、「寝る」だった。とにかく早く寝る。早く寝て、たっぷり寝る。
ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平は、毎日8時間半は寝るらしい。ハードな練習をした日はもっと寝て、9時間。オオタニサンより不出来な私が、考えるだけで難しい仕事を前にそれより少なくていいとは思えない。真剣に、たくさん、寝ることだけを考えた。
やけに暑かったり、寒かったりした日は、もっと、もっと寝た。今年の春は気温がひどく上がり下がりする日が続き、これが仕事そのもの以上に堪えた。寒暖の差で消耗した分、できる限り布団に入り、眠れなくとも目を閉じて休む時間を増やした。
消耗した分を食べることで埋め合わせたいと思ったら、骨付き肉をじっくり煮込んだスープを作って食べた。
ガツンと一発、焼肉やステーキも良いが、くたびれた体では消化不良になりやすい。たんぱく質、ミネラル、ビタミン。手羽元などの骨付き肉をコトコト煮込めば、栄養が骨の髄からスープに溶け出し、啜るだけで滋養になる。ほろほろに煮崩れた肉はおなかにやさしいし、野菜も一緒くたに煮込んでしまえば、追加のビタミンや食物繊維も摂れる。
これを保温ジャーに詰めておにぎりと一緒に職場へ持って行き、毎日の昼食にした。幸い、骨付き肉は財布にもやさしく、家計も助かった。
酒、とりわけビールやワインがやめられない代わりに、夕食どきの炭水化物は控えた。特に風呂上がりのアイスなど、甘いものを食べると一発で体が浮腫んで重くなってしまう。
甘いものでなくても、揚げ物は危険だ。油との組み合わせで、うっかり食べすぎてしまった翌日は体を引きずる思いで歩かねばならない。同じ理由で、お寿司も避けたほうがいいと知ったのは最近のことだ。ただし、お寿司も揚げ物もアイスも、ここぞというときは思いっきり楽しむことにした。私の場合、ここぞ、が少し多いかもしれないが。
極めつけは運動だ。ジョギングかランニングか。その違いもよくわからないまま、とにかく走った。
最初は2キロ半ほどでヨレヨレになっていたが、そのうち、5キロ以上の距離でもゆっくりなら苦もなく走れるようになってきた。牛の歩みとはいえ、成果が目に見えるとうれしかった。頻度は大体週2回。勤めに出ている都合もあるが、日焼けの心配をするのが面倒で、走るのは休日でも日が落ちてからになることが多かった。
仕事のある平日は、特になんの変哲もない近所の住宅街の間を縫うように走った。ただ、それだけではつまらないのでたまに少し遠出もした。
遠出先で一番のお気に入りは桂川だ。松尾橋の東詰から北へ走ると、左手の川向こうに松尾山から嵐山、烏ヶ岳と続く山々が見える。一つ一つがまあるく、なだらかに盛り上がったシルエットが、花札の芒(すすき)を思わせる。
芒の札のことを、私の祖父は「坊主」と呼んでいた。薄暮れの、空の底のほうに「坊主」の陰が連なると、ますます花札でできた屏風絵に見えた。カス、カス、ときて向こう岸の暗がりから鳥の声がすれば、「芒に雁」の趣。まるで「芒に月」のような夕暮れ時もあった。
そうこうするうちに、だんだん走ることが楽しみになってきた。
元はと言えばこうして物を書くようになったのも、筆を進めようと机に向かい散々唸ってみたところで、書き終えてみればいつも「やってよかった」と思えるからだ。多少面倒で苦しい思いをしてでも、見たことのない珍しい景色を見てみたいという欲が強いほうなのだと思う。きっとこれも、気力が有り余っているからだろう。
「もしかして、体力がついてきたのかもしれない」と最初に思ったのは、口をついて出る言葉が変わったと気づいたときだった。
「すみません」とすぐ恐縮してみせるのが減った代わりに、相手の目を見てしっかりお礼を言うことが増えた。何かあるとすぐに動揺し、小さな悲鳴を上げて半ベソをかくことがなくなった。何はなくとも大船に乗った気持ちというものを、生まれてはじめて味わった。
一度聞こえが悪くなって以来、2年ごとに2度ぶり返していよいよ諦めていた左耳が、今年の健康診断で聞こえるようになっていた。
歯ばかり白く、人気者にだけやたらと調子のよかった小2のときの担任が、勝手にクラスのスローガンにした言葉がある。
「ピンチはチャンスだ。チャンスを活かせ」
この人を見て私は、これは立場の強い者が、自分の都合のいいように人を動かすために使う言葉なんだなと学んだ。以来、この類のことを言う人間をすっかり信用しなくなっていた。
ただおとなになった今にしてみれば、これも一理あるなあと思うようになった。それでも気に食わないので、もう少し他の言い方をしてみる。
雨降って地固まる。
ここ半年の私の変わり様を見て、かかりつけ医が言った。
「こういう人がいちばん長生きしますよ」
なんだか長生きがしたくなってきたような気がする。
「お題:体力をつけた話(具体的に何をして体力をつけたのか)」ありがとうございました。
当欄ではエッセイのお題を募集しています。こちらのフォームからお気軽にお寄せください。