2023-01-15

2023年1月15日の当用雑記

正月の楽しさは消化器の強さに比例する。ということを今年になって初めて知った。

家族が毎晩のようにワインを開けるので、「お正月だから」と理由をつけてそれに付き合っていたら、しまいにはボロ布のようにくたびれ果ててしまった。年齢のせいだけではないと思う。酒の量でいうと去年の年末年始よりかなり少ないはずだ。コロナ後遺症のことを言うのはもう去年でおしまいにしようと思っていたのに、まだそうもいかないのかもしれない。やっと松の内を過ぎてホッとしている。職場に持参しているスープジャー弁当が、疲れた内臓に染みる。

職場の近くに「在原業平邸址」の石碑があって、毎日その前を通る。「業平」と彫られた文字を目でなぞりながら、頭の中でTBSの安住アナが「ギョーヘーちゃん」と呼ぶ。何年も前に『安住紳一郎の日曜天国』で在原業平のことを気安くそう呼んでいた。ギョーヘーちゃんといえば、『伊勢物語』に出てくる和歌

思ふこといはでぞただにやみぬべき 我とひとしき人しなければ

を本で読んで知ってから、SNSを開く回数が減った。田辺聖子の本だった。読んだのは割と前のことだから、それ以降徐々に減ってきたと言ったほうがいいかもしれない。以前なら嬉々としてTwitterに書いていたことも、最近は投稿せずそのまま心の内にしまうようになった。

それまで、心のどこかで「我とひとしき人」を探していたのだと思う。でもそんな人など存在しない。それを腹の底からわかるのにずいぶんかかった。

年末にはじめてTwitterでバズってしまった。バズは、ごく個人的なつぶやきが、あらかじめ存在したいくつかの文脈に「誤解」されて組み込まれることではじめて駆動するものなのなのかもしれない。「誤解」が「誤解」を呼び、数万、数十万とものすごい速さで拡がっていく。私のごく個人的なつぶやきは、今やこの手を離れて大喜利会場と化している。インドに赴任している大学時代の後輩から、「鬼バズり、インドまで届きましたよ!」と元気のいい新年の挨拶があった。ほのぼのとしたバズり方で幸いだった。

忘年会や新年会の類は控えていたが、大学時代の恩師にあたる先生の誘いだけは断りきれず、お宅へ伺った。先生夫妻と、私と、ゼミ仲間1名の小さな新年会だった。ここでもワインを飲んだ。

夫妻の間には10歳の年の差があり、何かのきっかけでその話題になった。「年が違うのではなくて、私とあなたは違う。それだけの話です」先生はきっぱりこう言った。もうあと2年で退官だそうだ。「論理の世界でずっとわからなかったことが最近やっとわかったんですよ。人間、60過ぎてもまだ覚醒するもんですね」と嬉しそうにしていた。「まだ持ってなかったら」と言って帰りにレコードを2枚くれた。ロバート・グラスパーの『Black Radio III』と、MILES DAVIS & BILL EVANSの『COMPLETE STUDIO RECORDINGS: MASTER TAKES』だった。

毎年、「今年はもっと集まりましょう」と言いながら、いつも結局、年に1,2回くらいしか集まれない。今年はどうだろうか。

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