2023年3月14日の当用雑記
バルコニーに置いた植木鉢の土がよく乾く。カラッカラに冬枯れしたあじさいの鉢植えから緑の新芽が伸びてきた。表面がツヤツヤと光って、触ると柔らかい。こんなに連日あたたかいのだから、もうとっくに沈丁花の花の匂いを嗅いでいてもいいと思うのに、今年はまだ出くわしていない。
近所の古い家があっという間に更地になったのは、去年の夏の初めだった。毎年、春が来るのを匂いで教えてくれていた沈丁花の生け垣もろとも重機になぎ倒されて、今はそこに牛乳パックみたいな3階建ての家が建っている。元は2階建ての一軒家がひとつきりだった土地に、グレートーンの牛乳パックが3つ。ぎゅうぎゅう詰めになっている。夜その前を通ると、センサーに反応したLEDライトが睨むようにこちらを照らしてくる。沈丁花の花の匂いが恋しくなる。
数年ぶりに目が痒くなって、病院で目薬を出してもらった。街の三方をぐるりと囲む低い山が、毎日、薄布のロールスクリーンの向こう側にあるみたいに霞んでいる。中華ブランドのスマートウォッチが知らせる今日の天気は、「晴れ」でも「曇り」でもなく「PM2.5」だった。見たこともない記号が表示されていた。日中はあまり外に出ないようにして過ごしている。ビールのコマーシャルのような春はそうそう来ない。
『掃除婦のための手引書――ルシア・ベルリン作品集』を読んでいる。これで2周目になる。1周目のときは、五感に刺激的な描写にただ釘付けになった。ちょうど『恥ずかしい料理』を出した直後だった。「文章を書く」ということはまだ、私にとってそう特別なことではなかった。
刑務所の更生プログラムに設けられた文章のクラスを描いた『さあ土曜日だ』で、囚人たちはミセス・ベヴィンズから創作を学ぶ。1990年代、著者のルシア・ベルリンはサンフランシスコ郡刑務所などで教鞭をとっていた。ベヴィンズ先生も、ルシア・ベルリンも、アルコール依存症を克服していた。私は文字を目で追いながら、ベヴィンズ先生の言葉にルシア・ベルリンの声を重ねた。低くて深い、見知らぬ声だった。
ベヴィンズ先生は、囚人たちにさまざまな課題を出した。「あなたの理想の部屋について書いてください」「あなたは切り株です。どんな切り株か説明してください」「痛みについて」。囚人たちは照れをかなぐり捨て、次々に言葉と恋に落ちた。どこかの田舎者に叩きのめされるインディアンの父親、少女の細い手首、昔飼っていた犬の死。それまでひた隠しにしてきた言葉を、自分の中に探し始めた。
それを見て、私も続いた。アイスキャンディのように刈り揃えられた木立の影を、昼下がり、灯りの消えた阪急電車の車内を、川の中洲で光を湛えて輝く、黄金の枯れ草を。記憶の奥底に眠った光景の断片を、言葉とともに引き上げてみた。そこにあることも気づかなかった扉が、突然開いた。
今まで、「書く」ということについてほとんど何も知らなかったことにようやく気づいた。書くこと、それだけでなく見ること、感じること、息をすること。知らないうちにねじ伏せていた。禁じていた。それを発見した。ベヴィンズ先生は言う。「あなたたちには細部を見る目がある」
ある人に、それは生の肯定のようなものですかと訊かれた。私は考えた。生の肯定はずっと前に済ませたはずだった。30歳を迎えた次の月、私は通って5年になる心療内科の椅子に座っていた。そして医者を前に、しゃくりあげてこう言った。「私みたいな人間が生きていて申し訳ないという気持ちがやっと消えました」。医者は笑顔を見せておめでとうを言い、私は「青年期に家庭の苦労が多かったアダルト・チルドレン」を卒業した。
自分自身を肯定する瞬間は、それ以降何度も私に訪れた。木の椀に漆を塗り重ねるように何度も。私はそのたび強度を増し、「艶」とは何かを知っていった。それは螺旋状のスロープをゆっくり上がっていくようでもあった。同じ光景を目にしながら、私の視点は前と違う位置にあった。恥も、焦りも、興奮も、憂鬱も、今はとても遠いところにあるように思う。私は大人になった。
元は迫られて名乗った「文筆家」という肩書きも、今はすっかり意味合いが変わってしまった。それは、都合の良い売り文句ではなく、生きる喜びになった。
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