2023年5月26日の当用雑記
雨が上がるたび日が長くなっているのがわかる。夏至まであとひと月を切った。夜7時の退勤後に空を見上げると、ビルの隙間から群青色の夕暮れが覗く。もうすっかり初夏になっている。
勤め先の仕事が忙しく、24時間アクセルべた踏み状態が1月半続いたところで本が読めなくなった。2ヶ月目に入って言葉がうまく出てこなくなった。じきに、自分が今何のメールを打とうとしているのかがわからなくなった。2ヶ月と10日を過ぎてやっと一区切りついた。と思ったら、その週末に熱を出して寝込んだ。土日で熱を下げて週明けからそのまま働いて、その次の週末はようやく鍼灸院に行けた。
艾(もぐさ)の匂いで、張り詰めていた風船に針穴が空いたように気抜けしたらしい。家に帰り、そのまま布団になだれ込んで5時間寝た。帰ってきた夫に起こされたときにはもうとっぷり日が暮れていた。かろうじて夕飯と風呂だけ済ませ、そこから今度は10時半間寝た。目は一度も覚めなかった。それでも寝足りず、朝ごはんを食べたあとに追加で2時間寝た。その晩も9時間寝た。これでやっと正気が戻ってきた。
正月休み以来はじめての3連休だった。しかしそれも半分以上は寝て終わった。今年のゴールデンウィークの連休はなかった。居間のこたつはまだ仕舞えていない。
自分ではどうしようもない忙しさに巻き込まれてしまうことが、誰でもあると思う。そういうとき、みんなどうしているのだろう。
例えば出産後。赤ん坊の泣き声で夜も眠れなくて、寝ても時間は細切れで、命がけで産んだ小さな命を他の誰にも頼れず自分の手で守るしかない日々が続いたら。例えば、やっと入れた保育園で、もらってももらっても子どもが風邪をもらってきて、鼻水、発熱、嘔吐、下痢、咳、その繰り返しで、もしかして夜中に吐いたら喉を詰まらせて死んでしまうかもしれなくて、自分もそのうち具合が悪くなってきて、仕事も家事も溜まる一方で、職場では謝ってばかりで、元気になったらなったで今度は休日のたびに公園へ遊びに連れて行かないと夜スッと寝てくれなくて、寝ても朝は5時や6時から上にのしかかられて起こされて、ついイライラして大きな声を出したあと自分で自分が嫌になって、そんなことばっかりだったら。「親が子どもと遊べるのも今だけだよ」と言われてそれが7年続いたら。親の看病があったら。夫の両親の介護があったら。実家の片付けで、往復8時間かかる実家まで毎週末通う日々が続いたら。
今の私は職場の仕事と自分の家のことだけしていれば良い。料理以外の家事は夫もしてくれる。それなのに、私は仕事が少し忙しいくらいで音を上げている。自分でも軟弱だと思う。それに、もしもの話と今の自分を比べてもどうしようもない、とも思う。一日にできることは案外限られている。私は今日も、寝て、食べて、体を動かす。
寝に寝た日曜の夕暮れ方、久々に夫と二人で散歩をする余裕ができた。西に向かって歩いていると、中学校のぐるりに植えられた楓の木の葉の隙間から、西日がスパンコールのように粒になって瞬いた。歩いても歩いても、棚引いたスパンコールの帯が次々に瞬いて見せる。眩しさに思わず目を細めたまま、うっとりして口元がゆるんだ。前の方から、ノースリーブのサマードレスを着た中年の女の人と、ポロシャツに半ズボン姿という出で立ちの中年の男の人が連れ立ってこちらに向かって歩いてきた。サマードレスには大きなハイビスカスの柄が描かれていた。新婚旅行で行ったハワイのワイキキビーチにはこんな人がたくさんいたなと思い出す。でもここは京都の住宅街で、近所の人ではないように思えた。二人ともワイキキルックに不似合いなほど憂鬱そうな顔をしていた。すれ違った二人を、私の横を歩いている夫が不思議そうな目で追っていた。取って返した視線と目が合って、お互いにやりと笑った。外に出るといろいろとおもしろいことがある。突然楓の並木が途切れて、黄金色した空が目の前に広がった。澱んでいた胸の内に、5月の爽やかな風が吹き込んだ気がした。
一日にできることは案外限られている。私は今日も、寝て、食べて、体を動かす。次の休みで、こたつを仕舞う。
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