2023-06-30

2023年6月30日の当用雑記

みょうが、スイートコーン、メロン、さくらんぼ、枝豆、葉生姜、水なす、もも。

丸1週間ぶりにスーパーに買い出しに行くと、店先の顔ぶれが随分入れ替わっていた。朝のラジオで、天気予報士が言っていたことを思い出した。

「沖縄・奄美地方が梅雨明けして、季節がまた一つ進みました。」

夏至を過ぎても日の出は早く、日の入りは遅い。仕事帰り、薄暮れのなか近所を歩いていると、どこからともなくピーマンの焼ける匂いがしてくる。毎晩、町内のどこかの家がピーマンを焼いて食べている。

シンクを磨いてもすぐ水垢で曇る。案外、夏を感じるのはこういうことだったりする。

浅田彰『ヘルメスの音楽』を読んでいる。ちくま学芸文庫版。一乗寺のマヤルカ古書店で買ったものだ。

シューマンを弾くロラン・バルト、グレン・グールド、ピエール・ブーレーズ、ジョン・ケージ、モーツァルト、フェルメール、フランシス・ベーコン。音楽に美術。次々と、手放しに、それらを大肯定していくその鮮やかさに感動する。

ひょっとして、是を「是。」と言い切る力を主翼にして飛ぶのが浅田彰の知性の在り方なのではないか。ど真ん中には愛と情熱が煌々として、取り付く島もないほどの輝きを放つ。それが笑ってしまうくらいかっこいい。

そう思って「あとがき」まで読んだら、それでまた参ってしまった。

「絶対的なaffirmationの力。ほとんど痴呆的なオプティミズムに輝く力。そのような力に貫かれた書物を作りたいと思っていた。」

いいなあと思った。ドゥルーズやガタリについて語れなくとも、浅田彰のそういうところに惹かれる。今は2周目を読んでいる。教科書や参考書以外の本に書き込みをしながら読むのは、生まれて初めてだと思う。

森敦『意味の変容』(ちくま文庫)に浅田彰が寄せた「森敦氏への手紙」も好きだ。

「言ってみれば、森さんはどこにいるときでも他所からきた二重スパイだったのであり、どちらの側につくでもない不安定な姿勢を保ちながら、その姿勢だけが可能にする情報収集活動を続けてこられたのではないでしょうか。
 インテリジェンスという言葉が『知性』と同時に『諜報活動』を意味するように、そもそも知識人はそのような二重性を運命づけられている筈です。」
「ほんとうに大切なことは、むしろ、決定不能性を大いなる肯定をもって受け入れること、決定不能性を逆手にとり、それをいっそう自由な境地への入口とすることであるように思われます。」

勤め先の仕事が、ちっとも手隙にならない。今週は一度もまともな昼休憩を取ることができず、昼食を数分で口に押し込む日が続いている。残業代はどうせ付かない。やりきれなかった仕事を打ちやって、私は毎日定時に帰る。やるべき仕事が日毎積み重なっていく。

相変わらず、出勤前と休日に書く生活を続けている。筆の進みはとても遅い。

文筆家なんて名ばかりで、書くふりをして実際は、パンを食べたり、お茶を飲んだり、ダイニングチェアの脚についたホコリをむしり取ったり、畳の上に転がっている時間の方が多い。その様子を見て、夫が言う。

「なんや楽しそうやのう」

その通りだと思う。朝、3度目のスヌーズでやっとベッドから起き上がるときも、台所に立ったまま納豆ご飯を掻き込んでいるときも、自動改札をPiTaPaで通るときも、会社で他部署へのクレームの電話にドヤされているときも、ねぎが突き出たスーパーの袋を下げて電車に乗る帰り道も、炊事も洗濯も、お風呂も、歯磨きも、全てが楽しくて仕方がない。そう思うようになったのはつい最近のことだ。私は、私が思うよりもずっと陽気だった。それに最近気づいた。

私は、まだ見ぬ味方に向けて諜報活動をしている。

まだ見ぬ味方に向けて調査報告をするために、寝て、食べて、動いて、働き、気張っている。会社員であって、文筆家でもあること。パブリックでも、プライベートでもあること。善人とも、悪人とも言い切れないこと。素直でも、腹黒でもあること。私は、二重スパイとして情報収集した結果をじきに、一冊にまとめようと思う。

それはきっと、「絶対的なaffirmationの力。ほとんど痴呆的なオプティミズムに輝く力。そのような力に貫かれた書物」になると思う。

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