仕事。朝、マヨネーズトースト。朝から後輩と外出するも、大雨。このふたりが揃う日はだいたい雨だなと笑う。それぞれに晴れ女の自覚があり、マイナスとマイナスで逆にプラスみたいな話だろうかと首をかしげる。移動に使った三条京阪の駅がひっそりとして、ちょっと怖いくらいだった。しっとりと濡れて冷えたので、ドトールで温タピでもテイクアウトしたいと向かうもすでにメニューになく残念。秋冬限定メニューなのかも。後輩は温タピの存在を初めて知ったらしく、その後何度か詳細を尋ねてきた。ちなみにこの後輩、年齢が一回りちがう。タピオカってやっぱりおいしいですよねとしみじみ話す。温タピがなくなったのはブームが去ったからではないと思いたい。昼休みに温玉うどんを作って食べて即デスクに突っ伏して昼寝。濡れて冷えて奪われた体力の回復を図る。午後、編集担当者より昨日送ったメールの返信あり。とたんに元気が出て、気分が軽くなる。疲れた感じがするのは濡れて冷えたからだけではなかったようだ。夕方、玉姫酢が5月末で販売終了と知る。普段家では千鳥酢を使っているが、学生時代の下宿先の近所にあっていつか買いに行ってみようと思っていたのでショック。細く永く続いてきたお店がなくなるのは悲しく寂しいことだ。とはいえわたし自身そこまで酢という調味料にこだわりがないのであった。それもまた寂しい。19時、無事定時を迎えデスク下で脱いでいた靴に足を入れようとすると入らない。ものすごいむくみ。明日休みで鍼灸院にいくからとってもらおう。3月末以来の2ヶ月ぶりだ。夜はごはんを作る元気が出ず、夫にケンタッキーを買って帰ってもらった。ケンタッキーはおいしい。しかし食後も引き続きお風呂に入る元気が出ず、数時間も畳の上に転がって時間を過ごしてしまった。すっかり体が冷えた。畳の上に寝そべって携帯の液晶画面を撫でていると「我が子を推す」という言葉が目に飛び込んできて衝撃を受ける。商品ではない人間に対して「推し」という言葉を使う感覚が未だにわからないしわかりたくもないなと心底思う。高度消費社会に毒されて人権意識が飛んでしまった人がたくさんいるみたい。こんな世の中でこれから生きていける自信がないな…と寝る前に暗い気持ちになった。

仕事。朝、マヨネーズトースト、昼、たけのこごはん、だし巻き卵2切れ、かす汁(わたつね)。朝、布団の中から感じる部屋の空気が冷たくて、布団を剥ぎながら「寒いのはかなん」と泣きそうになった。喉が少し痛い気がする。風邪?かと思えばお昼を食べにわたつねに向かう道中は、日差しがきつくて汗ばむほど。湿度が極端に低いのだと思う。ビラビラビラと貼られたわたつねの張り紙に鱧天のメニューがあるのを発見したが、朝の冷え込みを思い出すととてもそんな気分になれず、単品で食べたいものを注文して食べた。たけのこごはんに占めるたけのこのパーセンテージが異常。やわらかくてとてもおいしかった。1110円。三条通のとくらの行列がなくなっているのを見て、事態のシリアス度合いを実感する。新風館は緊急事態宣言に伴い休館。ただし立ち入ることは出来たので、ベンチに座ってしばらく風がそよそよいうのを聞いていた。街がかなり静かになってきた。姉小路通の善田のお花はあやめ。花菖蒲かかきつばたかもしれないが、何度調べてもあやめ・花菖蒲・かきつばたの見分け方が覚えられない。オリンピック関連のニュースは、「馬鹿も休み休み言え」という言葉がお似合いのものばかり。海外から入国予定の五輪関係者は6万人にも登るそうだ。それに伴い、期間中に看護師500人の確保を日本看護協会へ要請との報。ちなみに医師は300人の確保が要請されている。昨夜の“新型コロナ 国内の死者1万人超える”というニュースに少なからず衝撃を受けたが、そのうち約80%は去年12月以降の死亡者という詳細を読んでさらに肝が冷えた。その他のニュース、“インドで見つかった変異ウイルス 都内で1件確認”。空港検疫もザルな癖に今さら何悠長なことを言って驚いたフリをしているのだろうかと呆れるが、休み休み馬鹿を言っていたのではオリンピックに間に合わないか。間に合わせるつもりなのだろうか。本当に?はてな匿名ダイアリーの「緊急事態宣言に「慣れた」んじゃなくて呆れ果てただけだよ(追記あり)」を読んだ。“東京だけでも成人は1000万人以上居るんだ。グローバル超大企業の従業員数ですら多くて20万人程度だ。その50倍近い人数がほぼランダムに勝手に集まってきて生活してる。この全員が「いい大人」なわけがない。そういう前提で動くのが当然だろう。「お前はいい大人」「お前は悪い大人だからいい大人になれ」とか説教して回るつもりか?”これだけの筆致の人は、いったいどのような職業に就いているのだろう。さぞかし「いい大人」なのだろうなあ。二種変異株のことなど、考えれば考えるほど不安でたまらなくなってくるが、今朝ベランダのあじさいに蕾がついていたのを思い出してなんとかそれを振り払う。冬の間何度も水切れさせてしまい、今年はもうダメだと決め込んでいたのでとてもうれしかった。仕事終わり、ヨドバシカメラに寄って撮影用背景紙を買って帰る。いつもは文化博物館の中の楽紙館で買うのに、緊急事態宣言とともに突然の休業に入ってしまってかなり焦った。楽紙館なら200円やそこらで買えるところ、ヨドバシの撮影機材売り場で640円。これしきの差額が惜しいわけではないが、明らかに雰囲気で行われた政治判断により生活に支障をきたした事実は些細なものでも腹立たしい。地下のスーパーで天然の大きな真鯛が480円だったので買って帰った。真鯛連子鯛問わず今日は鯛が豊漁だったっぽい。ポルタはJINSとグランディール(パン屋)以外閉まっていた。駅からの帰路を照らす朧月を見上げて満月を確認。明日あさっては雨の予報になっている。今日の気温は最低が6.6度、最高は22.9度だったとのこと。明日はもう少し気温差はマシだろう。夕飯は、鶏の唐揚げ、ほうれん草の白和え、トマト、いちご。生まれて初めてモモ肉ではなくムネ肉で唐揚げを作った。さながらラーメン屋さんの唐揚げのよう。「パサパサしておいしい」と好評。こちらは「ジューシィ」を目指して努力しているのだが、目標設定の変更が必要か。酒、一番搾り中瓶1/2本、金麦1缶。21時から『大豆田とわ子と三人の元夫』。エンディングの客演に「NENEじゃん!まじか!」と大きな声が出た。NENE、テレビに出してもいい人なんだなあ。女性の客演があるならAwichかしらと思っていたのでかなり驚いた。このドラマ、元ネタというか着想源はやはり『三人の妻への手紙』だろうか。あらためて、ソフィスティケイテッド・コメディの系譜で付与される美徳は「資本主義の夢」だなあと思う。ビール大手3社がこぞって協賛に付いていたのも偶然ではないだろう(キリンのCMに入る直前のシーンに出てくる缶ビールがサントリーのプレミアムモルツだった)。とかく洗練とかお洒落とかいうのはお金がかかる。そしてそんな洗練とかお洒落を夢見て/見させられてわたしは大人になったのだ。しかし(バリエーション、広がりはあれど)ルビッチの頃からもう100年近くの長きにわたってこの様式美が存在していることに驚く。都会喜劇風の女という存在も、もはや立派なクラシックということか。

憧れを煽って商売をするなんてまっぴらごめんなので、わたしは断然リアルをやっていきたい。ずっと前からそれしか頭にないけど、最近特にそう思う。

インターネットの海にて、うっかり自著の酷評複数を踏んでしまったが不思議と傷つきはしなかった。むしろ、三十路を過ぎて白黒コピー刷りの紙切れを作り始めて以来5年間、ここまで門が開かれ続けてきたことに驚く。ひとりきりで漕ぎ出して、こんなに遠くまできたのだなあ。しかし、ただ救われることを求めて漕ぎ続けてたどり着いた先がこの景色とは、やはり生の旋律は苦いものです。

表象のたのしみがフィジカルのちからを借りて駆動しはじめる瞬間は良い。一番良い。そういうことを思い出した日だった。また、そうした瞬間を掴むことが得意だと自分では思っている。そんなことも久々に思い出した。MIHO MUSEUMと京都市青少年科学センターに行きたいと言ってもう1年が経つが、まだ行けていない。最近釣りに興味が出てきた。

仮説:自負というのは、やたらと握りしめておけばいいというものではなくて、手放してこそ価値があるものなのではないか?

今のところ、自分のことを「文筆家」だと思ったことは一瞬もないままだが、そういうのは他人が決めることであって、自分で選べるものではないんやろうなあということは、なんとなくわかってきた。「なる」とか「ならない」とか、そういう話ではないのだろう。などと考えていると、また過去の自分がやってきて、肩を叩いて去っていく。“わたしは、誰のものにもならないし、なれないし、さらに言うと、わたしはわたしのものにさえならない、なれないということ。これを「謙虚の誕生」といいます。”(2018年12月11日の日記)だそうです。なんや、偉そうなことばっかり言って。

仕事。朝、マヨネーズトースト、昼、タルカのノンベジミールス+パロタ。外回り中、ババグーリのお店の前に、もじゃもじゃとした巨大な木の枝の塊を上に載せた車が停まっていて何かと思ったら、華道家の上野雄次の車だとひら松が(DMで)教えてくれた。異様な造形に見たらあかんやつかと思ったが、どっちかと言えば見てほしいやつやった。ここ最近、定時まで体力が持たず難儀していて、先週鍼に行ったとき「最近あったかいし調子悪いことないですか?」と訊かれてふに落ちた。中医学で言うところの肝のトラブルとのこと。春に調子が心配な人の筆頭にわたしも含まれているらしい。確かに、疲れて疲れてたまらん、ということ以外にも、情緒不安定とまではいかないが、ずうっと同じことを考えてぐるぐるしている感じがある。「動いて!」というアドバイスの通り、仕事で外に出っ放しだった今日は元気に退勤できた。夕飯は、昨日お義母が届けてくれた惣菜にわたしが仕事先でもらってきた惣菜を加えたもの。ヒレカツ、タンドリーチキン、野菜のオムレツ、春キャベツのコールスロー、ほうれん草とコーンのおひたしなどなど。豪華。冷蔵庫に冷やしてあったスパークリングワインを開けて飲んだ。夕飯中に流していた「ぴったんこカンカン」が、(緊急事態宣言下で)ロケが出来ず電波少年みたいな作りになっていて、これはこれでええやんと思うなど。大量の映像ストックがある番組だからこそできることだが。そのまま、ドラマ「俺の家の話」。向こう3ヶ月の楽しみが出来てうれしい。長瀬が西田敏行を風呂に入れるシーン、年老いた親の足元を一瞥して動揺するカットに、全幅の信頼を寄せるべき理由が詰まっていた。顔の下半分に化粧をしなくなってもう1年近く経つが、相変わらず洗面所の一等地に口紅を並べていたのを、いい加減観念して片付けてしまう。ついでに、使わないまま古くなった化粧品を捨てて、一掃。アイシャドーの比率が高くなった。

仕事始め。朝、マヨネーズトースト、昼、鶏天丼(コープ)。退勤後にスタバで原稿。カフェミストを飲んでもまったくコーヒーの香りがせず一瞬緊張が走ったが、着ていたセーターの繊維のにおいはしっかりしたのでただハズレを引いただけと思われる。原稿2200文字のうち、序盤と結びだけこしらえて中盤からラストの流れが出てこずかなり難航。考えれば考えるほど視界から像が消え、どんどん血の気が引いていく。こんなことはなかなかないのでどうしようと文字通り頭を抱えていたが、程なくして無事青写真の像が浮かび上がってきた。この、見えた!という瞬間が欲しくてこんなことを続けているのだ。デザインでも文筆でも、夜遊びでも勉強でも何でも、死線を超える瞬間さえあればいいのだと思う。興奮に乱れる息を整え、やっと浮かんできたプロットの輪郭がブレないうちに指でなぞり何度も像を結ぶ。いけそう、と確信したところで進捗をメールで報告。残り400字を明日のお楽しみにして22時前に帰宅する。帰るなり夫が「先生!待ってましたよ先生!」と揉み手で駆け寄ってきて何かと思えば、餃子がうまく焼けないらしい。夕飯に、とお義母が生餃子とミンチカツとおひたしなどを作って届けてくれていたのだった。わたしの餃子の焼き方はこう。鉄のフライパンに油をひき、生餃子を並べたら水を1/3の深さまで注いで、ふたをして点火。弱めの中火にかけ水気がなくなってきたらふたをはずして焼き目を付け、皿によそって出来上がり。「先生」とは料理の先生であった。テレビにかかるニュースを見聞きするだに、人間の命や生活より、首相をはじめとした政治家の沽券、面子のほうがこの国では重いものなのだと突きつけられているような気がする。まわりを見渡せば、飲食関係者やフリーランスで働く知人などが戸惑い、嘆き、不安や理不尽に怒っていて、去年の4、5月よりもずっと深く冷たい絶望の淵まで来てしまったことに背筋が凍りついてくる。もう「みんなでたすけあう」などという美しい物語では誰もたすからない。オリンピックなんてやめにしよう。自力整体を30分やって就寝。酒、ザ・プレミアム・モルツ 醸造家の贈り物1缶。今日のニュース:全国で4914人感染 過去最多を更新(TBS NEWS)二階氏 五輪開催に強い意欲(朝日新聞デジタル)

「原稿少しは書けた?」「字数的には半分いって、とりあえずジャンプ台に立てたって感じ」「じゃああとは飛ぶだけだ」「そう」「K点超えてね」「K点超えたいね」「K点の“K”って語源何か知ってる?」「知らない」「えっとね、“危険”」