もう冬休み5日目か。大晦日。朝9時過ぎ起床し、亀末さんへ注文していたお正月用お菓子を取りに行く。ついでに八百一で買い物。松葉のお蕎麦、丹波の黒豆等。一旦帰宅し、今度は車で買い出しへ。肉屋、スーパー、酒屋をはしご。お昼は松葉のお蕎麦に海老天を載せて、ちょっと早めの年越し蕎麦。13時から電話で打ち合わせ。原稿、なんとか書けそうな気がしてくる。そのまま机で『恥ずかしい料理』制作日記36冊(9冊×4包)にカバーをかける。手の脂がつかないよう綿の白手袋をして、気を使う仕事。寒くてこの冬はじめてガスストーブを点けた。その後この前聞いた「“かわいい”は思考停止」について考える。2019年3月30日の日記を紐解いてみると、“リリカルさは「わからなさ」の中でしか息ができないんじゃないかって思ってたけど、ついに最近、 明晰なリリシズムの光明が指してきた感じがする。そして、確かにその先は、文学の出番なのだった。”とあって驚いた。そう、その先は間違いなく文学の世界なのだ。なんにもわかってなかったクセに勘だけはいいんだなあ。そしてその勘だけを手がかりに、いわば肉弾戦でここまでやってきたのだった。未だにわたしには努力しかない、と気持ちがしぼむ日もあるが、努力の根底に妙な勘の良さがあることは覚えておいたほうがよいだろう。これは自画自賛などではなくて、ずっと問いを生きてきたのだなあという発見であった。また一方で、“かわいい”を「わからなさ」に閉じ込め(て得をす)るのは果たして誰なのか?という話でもあると思う。夕飯は鍋。焼き肉、すき焼き、しゃぶしゃぶなど豪華な大晦日の夕飯はひと通りやったが、いつも豪勢さのあまり序盤で(胃に)ダメージを負ってしまいがち。全く大晦日を楽しめてないことにあらためて気づいて「鍋」になった次第。ただし夫が出汁をとりながら「今日は昆布を2枚いれてやるぞ!」と張り切っていたところに大晦日感が出ていた。昆布で出汁をとるとき、前は沸騰前に取り出して上品に…というふうにやっていたが、本の取材でふじ吉のおとうはんから「だんだん(どんどん)出したったらええ。自分らで食べるもんなんやから、(昆布から旨みを)とれるだけとったったらええんや」と聞いて以来、グツグツ煮立ててとるようになった。確かにその方がしっかりした味が出る。出汁をとりながら、酒屋で買ってあった良いスパークリングワインの栓を開けて乾杯。甘いものが欲しくなり、亀末さんのお正月菓子と一緒に飲んだ。こなしで出来たピンクの梅と、道明寺の白の梅の生菓子。道明寺のお菓子は真冬のおいしさ。鍋をつつきながら紅白を観たり観なかったり。今年は大層な演出が少なくて恥ずかしくならずに観ていられた。“ミュージック・フェア感”と言い表している人がいて、言い得て妙。しかしじきに頭痛。珍しく昼間にチョコレートをバカ食いをしたのがよくなかったのかも。楽しみにしていたCDTVのAwichを待たずに布団に沈む。

スカート『ストーリー』をかけながら起床。仕事。朝、ネオバターロールレーズン、昼、温玉うどん。在廊の疲れがたまってきて、キーボードをタイプする指のロレツさえ怪しくなってきた。小さな子どものおしゃべりでもないのに「うどん」が「うろん」になってしまう。「てんぷれーたをごかくにんくらはい」どうしてこんなことが起こるんだろう。とはいえ在廊というのは思っていたよりもずっと良いものだなあ。編集という競技が終わって、キス・アンド・クライでうれしさに咽び泣き、そのまま酒を持ち込んで宴会、みたいな日々。まるで夢のよう。帰り道、家の近くで荷降ろししている佐川の人を捕まえて「あっち方向もう行かはりましたか?」と尋ねると「このあとです!」と言われたので急いで帰る。その後、無事『恥ずかしい料理』制作日記の受け取りを完了。250冊、4個口もあるので何度も持ってこさせるのは申し訳なく、どうしても一発で受け取りたかったのだ。中身を確認し、さっそく先に届いていたカバーをかけると完璧な出来。物が出来上がって、一点の曇りなくうれしい気持ちで満たされるのは生まれて初めてだ。表紙の最厚口の色上質、若草色のチョイスも、本文の薄手の書籍用紙も、イワタ明朝オールドをベースにした合成フォントも、そして少し粗悪な印刷も、何もかも。難点を挙げるとするなら、厚すぎてノドと文字とがかなり詰まってしまっている点くらいか。自費出版で「文庫本」という商品形態に挑戦するのはかなりの技量が試されるとわかっていたが、これならなんとか1650円(税込)頂戴できると思いホッと一安心。店頭で大手出版社の書籍と一緒に並んだとしても、おそらく引けを取らないだろう。何より南田くんの装画が本当に素晴らしい。とりいそぎ、80冊ほどカバーを掛ける。ラジオ深夜便、1時台はアンコール放送「今年お亡くなりになった方たち」ねむの木学園園長・宮城まり子さんインタビュー。当時94歳。上等の織物の端切れのような素晴らしいお話に、素晴らしい相槌。聞き手はおそらく後藤アナだろうか。清らかな気持ちで胸いっぱいの就寝。夫には適当に食べてもらい、夕方に仕事先でいただいたもつ煮込み丼が夕飯になった。

朝、ネオバターロールレーズン、昼、エビフライ定食(エビフライたくさん)(わたつね)。昨夜は雪が降って、朝はうっすら積もっていた、らしい。(出勤のときはすでに溶けていた)仕事。サンタクロースがプレゼントを持ってやって来た翌日の学校のような、浮ついた気持ちで過ごした日。昨日の在廊がうれしいことばかりで、プレゼントの包みを開けたり直したりするようにして思い出していた。善田のお花は千両に水仙ですでにお正月仕様。ボーナス支給日でもあったが、1円たりとも前年比変動なし。このご時世ありがたい話のようで、営業会社の中で仕事内容を軽んじられている結果でもある。午後、東京の感染者数800人超を受け、小池都知事が緊急会見。東京の状況が深刻になると日本中一気にムードが変わるのだろうなあ。京都も「京都市内の飲食店などに午後9時までの時短要請へ 21日からで京都府が調整」(京都新聞)と報道が出た。ただし出勤も退勤も、通勤客が減ったなあという感じは特にせず。夕飯はみぞれ鍋。夫の要請で鍋料理が続いているが、当の本人はもう食べるのに飽きているということが判明。食べたいというより、暖を取るために所望しているとのこと。食べるときのあのなんともうれしそうな顔は、あたたかさに対するものだったのか。スーパーで活車海老が売っているのを見つけたので、それもさばいて食べた。「生食いけますよ。」という、まるでヴィレッジヴァンガードのようなポップにそそのかされて買ってみたが、意外と苦戦。まだ生きているので、掴むとまさしくえびぞりになり跳ねまくり、台所でぎゃあぎゃあ叫び声をあげながら包丁を入れることになった。味は、おいしいというか、さっきまで生きていた生き物の味。いろいろ忘れないために、たまにこういうことをやっておくといいと思う。食後は万年筆を取り出しお便り書き。年賀状をくれた人へ出すものだが、年賀状ではなくなかばダイレクトメールである。ただ言い訳を書いておくと、商魂たくましいというよりは、こういうことを丁寧にやるのが単に好きなのだと思う。旧い付き合いの人に「本が出た」と言うと、ことのほかよろこんでくれるのでこちらが驚くほど。今日のニュース、新潟 関越道 大雪で立往生 500台近くが外に出る(NHK)

仕事。朝、なし、昼、温玉うどん。いよいよ真冬のアクセルがぐっと踏み込まれたような寒さ。でも冬はちゃんと寒くなくちゃあなあ。マフラーはなくてもまだ大丈夫。タイツ+登山用のウールの靴下にアシックスのGEL-BNDを合わせると、まるで雲の上を歩くような心地がする。「寒いのよ」と嘆く夫の申し出により、夕飯は鍋になった。出汁は昆布をたっぷり使ってグツグツ煮立てる。本の撮影に使った伊賀焼の土鍋をそのまま譲り受けて以来、煮込み料理や鍋料理はもっぱらこればかりである。ただ使うだけでワッと声が漏れるほどのおいしさ。これもまた原稿料よ。酒、プレミアムモルツ1缶。明日は平野さん展示@誠光社の初日。在廊の予定。

仕事。朝、マヨネーズトースト、昼、温玉うどん、夜、マックチキンナゲット、マックフライポテト。疲れのあまり、あと3秒で涙があふれて止まらなくなる、という状態がもう2ヶ月は続いている。涙を、飲んでも飲んでも飲み終わらない。頑張り疲れた以上にすっかり飽きてしまった。「またこれか」原稿はもちろん、デザインも、スタイリングも、取材交渉もゲラ出しも校正も修正も赤字吸収も、掲載本送付先管理も告知やプロモーションも各種注文書作成もスリップ作成も、すべて自分でやる著者がいないのは、スキルの問題ではなく制作の構造に脆弱性が生じるからだと思う。何がよろこびで何が苦しみかさえもわからなくなってしまった。今日のニュース、京都で75人感染、2日連続で過去最多 新型コロナ。京都府、大阪や東京など8都道府県への往来自粛要請へ 飲食店利用は4人までに

佐貫「“生きてる”って感じる瞬間なんてあります?」いこ「あるよ。会社のトイレで吐いてるときとか」佐「なんですかそれ、バンプ・オブ・チキンの歌詞ですか」い「バンプ・オブ・チキンってそういう音楽なの?」佐「いや、わからんけど」(味香園にて)